今から8年前の2006年、看護師として仕事を始めました。看護師というものは、学校で勉強する事はほとんど役にはたたず、実際に病院などで経験をしないと、全く身に付きません。
そのため、新人看護師というものは、とにかく先輩看護師から厳しく指導をされるものですが、私は特に厳しい人が、指導看護師として付いてしまったため、仕事中はかなりのストレスにさらされていました。
そんな私のストレス解消方法は、仕事帰りに打つパチンコやパチスロでした。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ニックネーム:看護ナース
  • 男性
  • 33歳
  • 看護師
三井住友銀行 借金金100万円額 開始2006年4月~

パチンコにはまり借金地獄に陥る

今から8年前の2006年、看護師として仕事を始めました。看護師というものは、学校で勉強する事はほとんど役にはたたず、実際に病院などで経験をしないと、全く身に付きません。
そのため、新人看護師というものは、とにかく先輩看護師から厳しく指導をされるものですが、私は特に厳しい人が、指導看護師として付いてしまったため、仕事中はかなりのストレスにさらされていました。

そんな私のストレス解消方法は、仕事帰りに打つパチンコやパチスロでした。
はじめは友人に誘われて、1000円札を入れるのもびくびくしながら打っていたものですが、仕事のストレスがすご過ぎて、仕事の後にギャンブルに身を投じる事で、なんとなく開放感を覚えてしまいました。
このときに負け続ければ、よけいにストレスが溜まってやめることもできたでしょうが、ビギナーズラックというものがあったのか、勝つこともたびたびあって、やめようなどという考えはまったくありませんでした。
ですが、パチンコやパチスロは連戦連勝ができるものではありません。
それどころか、負け続ける確率の方がはるかに高いでしょう。
私のビギナーズラックはすぐに消えうせました。

私は負け続け、手にした高額の給料のほとんどを、ストレス解消のためにパチンコにつぎ込んでいました。
やがて、給料を使い果たし、貯金も底をつき、それでもパチンコをやめることができなかったので、とうとう銀行のカードローンを組む事を決意しました。

実際にお金を借りるときには、かなりの抵抗感がありました。
借りるにあたって、全く無名なところでは信用に欠けるので、テレビのCMなどで有名な、三井住友銀行でカードローンを組みました。
100万円まで借りられる事になっていました。
ローンを組んだ後は、次第に抵抗感も薄れていき、負けては借りるの連鎖を繰り返していました。

借金をするのは駄目な人間という考えがあり、また、家族に知られたらまずいという思いもありました。
ですので、パチンコで負けが込みながらも、借金だけはしないでいようと思っていました。
悪いイメージを持っていたので、借金をする際は、取立ての厳しい所や、金利の高い消費者金融だけは避けようという考えになりました。

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子供と遊びに行く事が難しくなりました

パチンコやパチスロで負け続け、カードローンの融資上限の100万円まで借りる事になってしまいました。
100万円もの借金をしてしまうと、返済だけでも毎月1万5千円以上を入金しなければなりません。
1万5千円を入金しても、利息だけでも1万円近くがかかってしまいます。
これではなかなか借金は減りません。
それどころか、少しカードローンに余裕ができると、再びパチンコを打ちたくなって、借金を重ねてしまいました。

わずかな返済をしては、再びパチンコを打ってしまうという、
負の連鎖でまったく借金が減らない期間が5年以上ありました。

家や職場に来るなどという厳しい取立てはありませんでしたが、いつ家族にばれるんじゃないかと、びくびくしながら生活をしていました。
まるで犯罪者のような気分です。
いつも、借金を返済しなければならないということを考えていて、悩みの種でした。また、お金がなくて大変な事と平行して、家族への後ろめたさや罪悪感にも苦しんでいました。

借金をして、家族にもばれないように、月々の小遣いの中から返済をしていました。
私の月々の小遣いは1万5千円です。
そして、返済に必要なお金は1万5千円です。
家族に内緒でアルバイトを始め、毎月5千円弱の副収入を得ました。
実質の小遣いが毎月5千円弱となり、これではパチンコはおろか、友達と遊びに行ったりすることもできません。
何より、子供と遊びに行っても、何も買ってやれず、外食をする事もままならなくなりました。
子供に対して申し訳ないと思いながら今も家族には内緒で返済をつづけています。